横浜銀蝿の嵐さんは今どうされているのか、5月22日放送の爆報フライデーにて紹介されていました。

横浜銀蝿とは

翔、Johnny、TAKU、嵐の4人でバンドを結成。1970年代から、暴走族とツッパリという当時の流行りに乗って1980年に『横須賀Baby』でデビュー。デビュー後は歌番組にも連日出演の人気ぶりだったが、1983年解散している。

デビュー曲『横須賀Baby』はこちら

この当時のことを嵐さんは、ライバルは鈴木雅之率いるシャネルズだったと語る。横浜銀蝿は横浜の暴走族。シャネルズは川崎の不良ということで仲が悪かったようですね。一触即発な時もあったそうです。

嵐の解散後、翔に裏切られる

嵐さんはバンド時代に所属していた事務所を引き継いで、タレントとなった弟翔を売るために必死に頑張っておられました。しかし、事務所は投資の失敗から1億円の借金を抱えていた、あっという間に7億円にもなったそうです。

弟、翔を売り込むことが事務所にとっては必要だったとおもうのですが、その翔さんは1997年覚醒剤取締法違反で逮捕。知人女性が翔に注射されたと出頭したことがきっかけになって最初の事件がおこる。

この時は翔さんからは陽性反応は見られず逮捕に至ることはなかったのですが、1998年には2度目の逮捕。2003年には3度目の逮捕をされることになっていしましました。

特に3度目の逮捕の前は、嵐さんが翔さんを音楽で再起させようと、営業活動をかなり頑張っておられ、CDが発売される前日の逮捕になってしまったそうです。

もともと横浜銀蠅は覚醒剤撲滅を訴えていたのに、このような自体になって世間からは大バッシング。

嵐さんは逮捕から5日後、髭を剃り頭をまるめてマスコミの前に。今の段階では復帰させるつもりはない。弟翔さんのかわりにあやまりつづけた。

しかし15000人いたファンは150人程度に減少。抗議の手紙が殺到するだけにはとどまらず、自宅にも人が押し掛ける始末。嵐さんの妻もこの事態には絶えることができず、2人の娘を連れて家を出ていき、離婚。

そして、2004年4月に小脳梗塞を発症し、右半身麻痺になっていしまいました。小脳は平衡感覚や運動機能の調整が困難になるために、何もないところで転倒したりすることもあるようです。

また、右手の握力は10㎏程度しかなく昔のようにはドラムが叩けなくなってしまいました。

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嵐さんの今は

今嵐さんは60歳になり、嵐レコードというプロダクションの社長をしておられます。

脳梗塞で倒れたときに嵐のリハビリを近くで支えたくれた、23歳年下の女性。美羽さん(37歳)と2012年10月に再婚しておられます。美羽さんは嵐さんが経営する事務所のスタッフとして働いていた女性です。

嵐さんは彼女に対して「自分がピンチの時にずっと助けてもらったから、カッコつけるわじゃないけど、この子は幸せにしてあげなきゃな」と語っていました。